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古の旅人の心のよりどころ 宿場町

塩尻には中山道の宿場が5つ、善光寺道の宿場1つの合わせ6つの宿場がある。
峠道を越え、深い谷を歩き、谷を縫う道。それぞれの宿場にたどり着いた時の安堵。旅人は一息ついたことだろう。いにしえの旅人の心を癒し、よりどころであったであろう宿場町を訪ねてみたい。

塩尻宿

塩尻宿

天保14年(1843)の旅籠数は75軒、69宿の内2番目の規模であった。地名の由来にもなっている「南塩」や「北塩」が三州街道や五千石街道から輸送され交通の要衝となっていた。本陣・脇本陣等の宿場の大部分は明治15年(1882)の大火で焼失してしまったが、宿場のほぼ中央に現存する旅籠国重要文化財「小野家」が往時の賑やかな様子を偲ばせる。

洗馬宿

洗馬宿

慶長19年(1614)中山道が牛首峠から塩尻峠越えに変更になり設けられた宿場で中山道と善光寺道との分去れの宿場として賑わった。中山道で3ヵ所しかない貫目改所の1ヵ所が洗馬宿に置かれた。昭和7年の大火で多くを焼失し宿場の面影はほとんどないが、追分にあたる場所には常夜灯の石灯籠が残されている。

本山宿

本山宿

江戸初期には松本藩領であったが享保10年(1723)から幕府領で松本藩預かり地となる。幕末には皇女和宮降嫁御一行が本山宿に宿泊。街並みを構成する建物は、切り妻造り平入り2階建てで、1階部分より2階部分が道路に突出た出桁造りである。本山は「そば切り発祥の里」でもあり街道通じここから全国にそば切りの技術が伝わったと言われる。

贄川宿

贄川宿

「是より南木曽路」の碑を抜けるとそこから木曽路が始まる。贄川宿は木曽十一宿の北の入口であり尾張領木曽谷の重要な防衛拠点であり関所が設けられた。関所の機能には貴重な木曽檜を使った曲げ物や漆器、木材の移出などを取り締まる白木改めや、女改めが行われた。

奈良井宿

奈良井宿

「伝統的建造物群保存地区」の選定されている奈良井宿は、中山道の全宿場のなかでも最も旧状をとどめている。およそ1kmに家並みが連続してあり、6つの水場と5つの寺があり、いかに大勢の人々がこの宿を訪れたかが推測される。その繁栄の様は「奈良井千軒」とも謳われた。

 
郷原宿

郷原宿

善光寺道が中山道の洗馬宿と分れて最初の宿場。慶長19年(1614)松本藩主により制定。安政5年(1858)の大火後再建された家々の間口は5~6間、奥行き40間、更に奥には60間の耕地を定めた。街道には鍵の手や桝形が無くほぼ直線で整然と区画割りされた非常に特徴的な宿場である。

情報をもたらし文化を発展させた 街道

塩尻の地は、いくつかの追分をもつ交通の要衝であり各方面から様々な文物や情報がもたらされた。中でも五街道のひとつ中山道は参勤交代の大名をはじめ多くの人々に利用され、賑わい、文化が花開いた。今なお古き街並みが現存する奈良井宿。そば切り発祥の本山宿。他にも市内には善光寺道(北国西街道)、三州街道などが通る。これらの街道をめぐり、いにしえの時に思いをはせ自然・文化に触れてみたい。

  • 中山道

    江戸と京都を結ぶ幕府の重要路線であった、太平洋側を行く東海道にたいして山間の道という意味合いから名付けたという。はじめは「中仙道」と書き表されたが、正徳6年(1716)に「中山道」と改められた。

  • 初期中山道

    中山道には当初塩尻を通らない初期の中山道があった。桜沢から牛首峠、小野峠を経て下諏訪へ至っていた。2つの峠越えがあるも沢沿いを通る道は爽やかで近道であったが、16年ほどして塩尻峠を越えるルートに変更され、塩宿、洗馬宿、本山宿三宿が加えられた。

  • 権兵衛街道

    宮ノ越神谷(現木曽町)から姥神峠を越え谷を抜け、権兵衛峠を越え伊那市に達する山道である。当時の木曽谷は米穀がとれず貧しかった。権兵衛峠は伊那の米をそんな木曽谷へ運ぶ幹線として重要な機能を果たしていた。

  • 五千石街道

    諏訪領主が飛び地の巡見に利用した道。当時大阪夏の陣で松本藩小笠原秀政・忠脩父子が戦死。後を継いだ忠真は松本八万石から播州明石へ移り後任の戸田康長が七万石で高崎藩からやってくる。ここで浮いた一万石は、諏訪と高遠の両藩に五千石ずつ分け与えられた。

  • 善光寺道

    中山道の洗馬宿から分かれて、郷原宿経て、四賀(現松本市)の立峠、麻績の猿ケ馬場峠を越えて篠ノ井で北国街道に合流し善光寺に向かう道で、北国西街道とも呼ばれる。善光寺に救いを求める者や極楽浄土を願う人々はこの道を通り善光寺を目指した。

  • 仁科街道

    日本海から千国・仁科(大町市)を経て塩尻に至る。中世頃の道で、山に囲まれた松本盆地では塩などの海産物が運ばれてくる街道で塩尻の名のいわれてと言う説もあるほど重要であった。現在塩尻付近の街道ははっきりしないが本洗馬から北上していたようである。

  • 三州街道

    信濃と三州(三河)を結ぶ街道で、伊那街道ともよばれている。天竜川沿いに伊那谷を南下し三州の岡崎で東海道に合流している。「中馬(ちゅうま)の道」ともいわれた。塩尻では塩尻宿から善知鳥峠を越え小野に至る街道である。