牛首峠
うしくびとうげ(いちりづか)

霧訪山断層の断層鞍部に位置する峠です。昔、長者ヶ平の屋敷に住む娘が若い僧と恋仲になり、底なし沼に身を投じて命を落として以来、お供していた牛が暴れるようになったため、その首を落とし峠の中腹に葬ったというのがこの峠の由来と言われています。現在の県道254号にあたります。中山道を定めるに当たって、時の総奉行大久保長安は塩尻を通ることなく下諏訪から小野、牛首峠を経て桜沢へ出る道を開きました。江戸への近道というだけでなく、木曽へ伊那の米を入れるかわりに、木曽の木材を直接江戸へ送ることにねらいがあったようです。長安と言う人物は、道中筋に関することの一切の支配のほか、佐渡・石見などの金銀山における大規模な採掘・選鉱で業績を上げ、飛ぶ鳥を落とす勢いがありましたが、死後種々の不正ありとして改易となりましたが真相は不明といわれます。やがて、中山道は塩尻峠を越えるルートに変更されました。しかし、伊那米の木曽への移入路としては、江戸時代を通じて大いに利用されました。峠近くの前山には、当時築かれた江戸より60里の一里塚が1基存在します。


