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スポット情報

洗馬宿

「右中山道、左北国脇往還善光寺道」と記された道標が立ち、二つの街道の分岐点として栄えた洗馬宿は、起点の板橋宿から31番目の宿場です。
洗馬宿

基本情報

住所 塩尻市宋賀
駐車場 専用駐車場はありません
その他 宿場内は通行にご注意ください。

浮世絵師・安藤広重の木曽街道「中山道六十九次」の中で、唯一無二の佳作といわれる「洗馬」を描いた絵図は、洗馬宿にある「邂逅の清水」(あふたのしみず)から奈良井川を見た景色を元に描かれたといわれます。
慶長18(1613)年に、下諏訪宿から小野宿・牛首峠経由で贄川宿に至る旧中山道が廃止された翌年、塩尻峠経由の路線が新たに中山道として設定された際、塩尻宿や本山宿と同じ頃新設された宿で、当時の洗馬は上の段を大怒田、下の段を新町と呼び、これらの村や近郷から人々を集めて宿場造りがされました。
その際、宿の南には新福寺(明治4年廃寺)と上神明宮、宿北に下神明宮が置かれました。
宿の北方は中山道と北国脇往還(善光寺街道)の「別去れ」で道が左右に分かれ、「右中山道 左北国脇往還 善光寺街道」の道標が建っています。中山道を進むと桔梗ケ原を経由し塩尻宿へ1里30町、本山宿へ30町、善光寺街道を進むと郷原宿へ1里半の道のりで、江戸板橋宿から31番目の宿です。
上町・中町・下町(伊勢町)に分かれ、平均3間間口を1軒役として屋敷割されました。
天保14(1843)年には家数163軒、本陣、脇本陣、問屋場があり、旅籠家は29軒でした。新福寺の入口には高札場があり、本陣の南側には幕府の貫目改所が置かれていました。中山道では板橋宿、追分宿と洗馬宿の3箇所に貫目改所が置かれ、継ぎ立て荷物の目方を検査し、規定の重量を越えた荷物に割増賃金を徴収しました。
しかし、昭和7(1932)年の大火で宿の大部分が焼失してしまいました。
史跡としては、細川幽斎にまつわる伝説の肱懸松(ひじかけまつ)、中山道と善光寺街道の分岐点の分去れ道標、木曽義仲伝説の邂逅の清水(あふたのしみず)願い事をかなえてくれるという言成地蔵尊などの史跡があります。

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